私はイギリスに留学していた時、英語がつたない日本人と現地の子との通訳になったことがありますが、そこで思ったのは、言った本人が目の前にいるから会話が成り立っているんだなあということでした。もし言った本人がそこにいなくて、私が日本語や英語で通訳をしていたら、相手の微妙なニュアンスや表情はもう一方の相手には伝わらないわけですよね。私はそれによって誤解を生んでしまうかもしれません。その表情やジェスチャーを見たのは私だけですから。それをそっくりそのまま真似をするという方法もありますが、それはなんだかちょっと恥ずかしいですよね。
言葉を理解するのは大切ですけど、それと同じくらいその場の雰囲気を読むことは大切なんだなと思いました。同じ言葉でも、その場の雰囲気によって違って聞こえることがあります。日本語でも、「真面目」は良い意味で使われることも悪い意味として使われることも両方ありますもんね。通訳として言語を仲介するなら、本人同士がそばにいてほしいです。
留学帰国時に予定していたフライトがキャンセルになりました。そこで、パリ経由だったはずがアムステルダムとインチョンを経由することになりました。インチョンでは、日本に近いからか日本語で会話している人も周りにいました。そこで、お店で何やら聞きたいことがあるとのことで、レジの後ろに並んでいた私が少し通訳をしたのですが、その韓国の店員さんはどうやら英語がわからないようでした。
残念ながら私は韓国語がさっぱりわかりません。「マッサージ30分無料」という言葉しかわかりません。だからここでは上手く伝えることができず、私は通訳を諦めました。時間があれば何かできたのですが、後ろにまだ並んでいるお客さんがいたのでその日本人の方も諦めたのです。
この通訳をして、どの国でも英語がある程度は通じるなんて思うのは幻想なのかなと思いました。実際にはどれくらいの普及率があるものなのでしょう。戦争は悪いことですが、英語が国際語となったのはそのおかげとも言えます。